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東京高等裁判所 平成6年(行ケ)65号 判決

大阪府大阪市中央区島之内1丁目13番13号

原告

アップリカ葛西株式会社

代表者代表取締役

葛西健造

訴訟代理人弁理士

深見久郎

森田俊雄

小柴雅昭

伊藤英彦

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 清川佑二

指定代理人

鈴木法明

高橋邦彦

幸長保次郎

関口博

伊藤三男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成5年審判第14015号事件について、平成6年1月27日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨。

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和59年8月6日にした同年特許願第164560号を原出願とする分割出願として、平成2年10月19日、名称を「乳母車の座席」とする発明について、特許出願をしたが、平成5年5月13日、拒絶査定を受けたので、同年7月9日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を平成5年審判第14015号事件として審理したうえ、平成6年1月27日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年3月5日、原告に送達された。

2  本願発明の要旨

背もたれ部を立たせた状態からほぼ水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車の座席において、

座部を支える部材のうち、座部の前方端側に位置する部分または座部の後方端側に位置する部分のいずれか一方が固定高さ位置となるように乳母車本体に連結され、その他方が、座部の後傾角を約10°から水平状態にまで調節し得るように、上下移動可能に乳母車本体に連結されていることを特徴とする、乳母車の座席。

3  審決の理由

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明は、実公昭51-45810号公報(以下「引用例」という。)記載の考案(以下、この考案を「引用例発明」という。)に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることはできないとした。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

審決の理由中、引用例発明の認定は、「座部(座席シート15・・・)を支える部材(伸縮杆13、筒状部16)のうち、座部の前方端部に位置する部分(枢着軸14部分)が固定高さ位置となるように乳母車本体に連結され」(審決書3頁6~11行)との部分のみを認め、その余は誤りであるから否認する。したがって、本願発明と引用例発明との一致点の認定も、「乳母車の座席において、座部を支える部材のうち、座部の前方端側(原文の「端部」は、「端側」の趣旨と理解する。)に位置する部分が固定高さ位置となるように乳母車本体に連結され」(同3頁18行~4頁1行)との部分のみを認め、その余は誤りであるから否認する。誤った一致点の認定を前提とする相違点の認定も誤りであるから否認する。

審決は、引用例発明の認定を誤ったため、引用例発明と本願発明との一致点及び相違点を誤認し(取消事由1、2)、相違点についての判断を誤り(取消事由3、4)、本願発明の奏する作用効果についての判断を誤り(取消事由5)、進歩性の判断を誤ったものであるから、違法として取り消されなければならない。

1  取消事由1(引用例発明の誤認に基づく相違点イの誤認)

審決は、引用例発明の認定において、「背もたれ部の傾斜角を若干調節可能な乳母車の座席において、」(審決書3頁4~5行)としているが、誤りである。

引用例発明は、椅子の状態での使用のみが可能な椅子専用型の乳母車である。すなわち、引用例発明の乳母車においては、背もたれシートの両側縁に沿って上下方向に延びる昇降杆20の下端と、座席シートの両側縁に沿って前後方向に延びる伸縮杆13の後端と、後脚5の下端に回動可能に取り付けられた揺動杆17とを、連結具22を用いて集合させているため、昇降杆20の位置を上下に変更すれば、それに伴って伸縮杆13の傾斜角度が変更されうる構造であり、背もたれ部及び座部の傾斜角度が連動して調節されうるようになっている。また、背もたれシートを支える昇降杆20と、座席シートを支える伸縮杆13と、把持部28から前輪7にまで直線的に延びる側杆2、3とで、三角形を形成し、昇降杆20の上方部は常に側杆3に連結されているので、上記三角形の形態は常に維持される。このような基本的な骨組み構造である以上、背もたれ部をほぼ水平に寝かせベッドの状態で使用することは、物理的に不可能である。

これに対し、本願発明は、椅子の状態での使用及びベッドの状態での使用が可能な椅子・ベッド兼用型乳母車である。

本願発明の要旨の「背もたれ部を立たせた状態からほぼ水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車」との構成は、椅子・ベッド兼用型乳母車であることを前提とするものであるから、本願発明の上記構成と対比するための引用例発明の構成としては、椅子専用型であることを前提とする構成を摘示すべきであって、「背もたれ部を立たせた状態で維持しながら、背もたれ部の傾斜角を若干調節可能な乳母車の座席において」と認定すべきである。

したがって、相違点イとしては、本願発明が「背もたれ部を立たせた状態からほぼ水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車の座席」に係る発明であるのに対し、引用例発明は「背もたれ部を立たせた状態で維持しながら、背もたれ部の傾斜角を若干調節可能な乳母車の座席」に係るものと認定しなければならない。

ところが、審決は、本願発明の上記構成に対比すべき引用例発明の構成を「背もたれ部の傾斜角を若干調節可能な乳母車の座席」(審決書4頁11~12行)と誤って相違点イを認定した。

2  取消事由2(引用例発明の誤認に基づく相違点ロの誤認)

審決は、本願発明と引用例発明とは、「その他方が、座部の後傾角を約10°から水平に近い状態にまで調節し得る」(審決書4頁1~2行)点で一致するとし、これを前提にして、相違点ロとして、「本願発明では、座部の後傾角を約10°から『水平状態にまで』調節し得るものであるのに対し、引用例に記載のものでは、『ほぼ水平状態まで』調節可能である点」(同4頁15~18行)を挙げているが、誤りである。

引用例発明の乳母車では、座った際の姿勢及び座り心地を良好に保つために、背もたれ部の傾斜角度及び座部の傾斜角度を連動して調節できるようにしている(甲第4号証3欄9~14行、4欄6~10行)。この乳母車において、もし座部の後傾角を水平状態にしたとすれば、乳幼児は下半身が次第に前方へ滑ってしまい、腰又は背中で座る状態になり、背中が曲がって非常に好ましくない姿勢となってしまい、座った際の姿勢及び座り心地を良好に保っという目的に反することになる。したがって、引用例発明において、座部の後傾角を水平状態にまで調節できるようにすることは全く考えられていない。

このことからすれば、引用例には、「座部を支える部材のうち、座部の前方端側に位置する部分が固定高さ位置となるように乳母車本体に連結され、その他方が、背もたれ部を立たせた状態に維持する乳母車の座り心地を良好に保つ範囲内で背もたれ部の傾斜角度の変更と連動して座部の後傾角を調節し得るように、上下移動可能に乳母車本体に連結されていることを特徴とする、乳母車の座席」が記載されていると解すべきである。

したがって、引用例に「その他方が、座部の後傾角を約10°からほぼ水平状態にまで調節し得るように、上下移動可能に乳母車本体に連結されていることを特徴とする、乳母車の座席」(審決書3頁11~14行)が記載されているとの審決の認定は誤りであり、この誤った認定を前提とした審決の本願発明と引用例発明との前示一致点の認定及び相違点ロの認定は誤りである。

3  取消事由3(相違点イについての判断の誤り)

審決は、相違点イについて、「引用例に記載の『座席の構造』を、上記周知の乳母車の座席に適用することは、当業者に格別困難なことではない。」(審決書5頁7~9行)と判断しているが、相違点イの認定が誤りであるから、その判断も誤りであり、仮に相違点イを前提としても、その判断は誤りである。

引用例発明の乳母車においては、その基本的な骨組み構造から、背もたれ部をほぼ水平に寝かせることは物理的に不可能であることは、上記1に述べたとおりである。

引用例発明では、座部の角度は昇降杆20の上下動に伴って初めて変更される、すなわち、上方部が拘束されている背もたれ部を上下動させることによって初めて変更されるものであるのに対し、従来周知の「背もたれ部を立たせた状態から水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車(寝かせた状態で座部は水平となるもの)」、すなわち、椅子・ベッド兼用型乳母車においては、背もたれ部をほぼ水平に寝かせた状態までリクライニング調節するために、背もたれ部を支える部材の上方部をどこにも連結することなくフリーな状態にしておかなければならない。

このように、引用例発明の軽量タイプの椅子専用型乳母車と周知の椅子・ベッド兼用型乳母車とは、座席の基本的な骨組み構造が全く異なっているのであるから、引用例発明の「座席の構造」に代えて、従来周知の椅子・ベッド兼用型乳母車の上記構造を適用することは、当業者にとって容易であるということはできない。

さらにまた、そのように組合せることの合理的な動機付けもない。すなわち、引用例記載の乳母車は、あくまで座り心地を良好に保つ範囲内で背もたれ部及び座部の傾斜角度を調節するものであるから、椅子・ベッド兼用型乳母車のベッド状態での使用に対して最適な環境を与えるという発想は出てこないのであって、椅子・ベッド兼用型乳母車の座席の構造を適用することに関しては、合理的な動機付けがない。

したがって、審決の相違点イについての上記判断は誤りである。

被告は、同一メーカーが椅子・ベッド兼用型乳母車及び椅子専用型乳母車の両者を製造していることを理由に、引用例発明の乳母車を周知の背もたれ部を立たせた状態からほぼ水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能にする動機付けが十分に存在すると主張するが、両タイプの乳母車を熟知した専門家であるならば、椅子・ベッド兼用型乳母車に対してのみ適用可能であり、引用例発明のような椅子専用型乳母車に対しては適用できないと判断するはずであるから、被告の主張は失当である。

4  取消事由4(相違点ロについての判断の誤り)

審決は、相違点ロについて、「引用例に記載の『座席の構造』を従来周知の『水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車(寝かせた状態で座部は水平となるもの)』に適用すれば、当然に座席の後傾角が水平状態となり得ることは自明であり」(審決書5頁11~16行)と判断しているが、一致点の認定及び相違点ロの認定が誤りであるから、その判断も誤りであり、仮に相違点ロを前提としても、その判断は誤りである。

すなわち、引用例には、座部の後傾角度を水平状態にすることは開示されておらず、椅子・ベッド兼用型乳母車の座席構造を引用例発明の椅子専用型乳母車の座席に適用しても、この組合せによって得られる乳母車の座席では座部の後傾角が座り心地を良好に保つ範囲内で調節され得るだけであるので、当然に座席の後傾角が水平状態となり得るものではない。

したがって、審決の上記判断は誤りである。

5  取消事由5(作用効果についての判断の誤り)

審決は、「本願発明による効果も、引用例および周知のものがもつ効果以上のものではない。」(審決書5頁18~19行)と判断しているが、誤りである。

本願発明は、乳母車を椅子状にした場合及びベッド状にした場合のいずれにおいても乳幼児に対して最適な環境を与えるという格別の効果を奏するところ、引用例発明の椅子専用型乳母車の座席構造は、乳幼児に対して快適な座り心地を提供できるかもしれないが、ベッド状での使用とは無縁であり、また、従来周知の椅子・ベッド兼用型乳母車では座部はほぼ水平に近い状態に固定されているため、ベッド状での使用に際しては乳幼児に対して快適な環境を与えることができるが、椅子の状態での使用に際しては快適な環境を与えることができず、本願発明の上記のような格別の効果は得られない。

被告は、椅子状、ベッド状いずれの状態でも最適の環境を望むことは常に存在している事項であると主張するが、本願出願時である昭和59年8月頃までの乳母車業界の開発の力点は乳母車を操作する側にとって便利で使いやすいものにすることであり、乳幼児側の視点に立って椅子・ベッド兼用型乳母車における最適な環境を追求したのが本願発明であるから、本願出願時、椅子・ベッド兼用型乳母車では座部が固定されているため、乳幼児に対して最適な環境を与えることができないという欠点は当業者によって認識されていなかったものである。

したがって、審決の上記判断は誤りである。

第4  被告の反論の要点

審決の認定判断は正当であって、審決に原告主張の誤りはない。

1  取消事由1について

審決は、引用例(甲第4号証)の背もたれ部の傾斜角を若干調節可能な旨の記載(同号証3欄18行~4欄1行)を乳母車のタイプを示す記載として摘示したものであり、引用例記載の背もたれ部が調節時どの状態にあるかの点を引用例の記載として認定するものではない。

審決が、相違点イとして、引用例発明につき、「背もたれ部の傾斜角を若干調節可能な乳母車の座席」と認定したのは、引用例には、本願発明とは異なり、背もたれ部を立たせた状態からほぼ水平に寝かせた状態までリクライニング調節させることが記載されていないからである。

2  取消事由2について

引用例の記載からみて、昇降杆20を昇降させることによる伸縮杆13の伸縮と、管軸23の先端に二又状の突片24をそれぞれ対向二枚が一組となるよう連成した連結具22の昇降・揺動運動とから、座部の後傾角が、10°からほぼ水平状態にまでの範囲なら調節できるものであることは、当業者に自明のことである。また、座部の後傾角の水平度が引用例の第1図の状態までに限られる旨の記載も引用例には見当たらない。

したがって、引用例には、「座部の後傾角を約10°からほぼ水平状態にまで調節し得る」点が記載されている。

原告は、乳幼児の座る状態からみて、座部の後傾角をほぼ水平状態にすることは考えられないと主張するが、乳母車の座部には布のような可撓性の材料を用いるのが通常であるから、この撓みによって作られる凹部により、乳幼児の下半身が前方へ滑ることはない。

実公昭51-45812号公報(乙第1号証)には、伸縮杆13、揺動杆17及び昇降杆19をピン25、26により結合した連結金具24の昇降・揺動と、伸縮杆13の伸縮とで座部の後傾角を調節する乳母車の機構が開示されている。上記機構と引用例記載の座部の調節機構とは連結金具(引用例では連結具22)と昇降杆19(引用例では昇降杆20)の形状が相違するだけで、機構的にはほぼ同じであるところ、上記公報第1図には、ほぼ水平状態の座部が示されている。したがって、引用例記載の座部の後傾角がほぼ水平状態にまで調節可能であることは明らかである。

審決の引用例の記載の認定に誤りはないのであるから、審決の一致点の認定にも誤りはない。そして、引用例には、「座部の後傾角を約10°からほぼ水平状態にまで調節し得る」点は記載されているが、正確な水平状態になるか否かは断定できないので、審決は、本願発明は、座部の後傾角を約10°から「水平状態にまで」調節しうるものである点で、引用例発明の「ほぼ水平状態にまで調節」可能である点と相違すると認定したものであるから、審決の相違点ロの認定に誤りはない。

3  取消事由3について

引用例発明の座席の構造に代えて、背もたれ部を立たせた状態からほぼ寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車の座席の構造を適用することは当業者にとって格別困難なことではないから、椅子専用型乳母車と、椅子・ベッド兼用型乳母車の基本的な骨組み構造の違いによって背もたれ部が水平になるか否かの点に関する考察は意味がない。

乳母車のタイプとしては、椅子専用型乳母車と椅子・ベッド兼用型乳母車の二種類に大別されることは本願出願前周知の事実であり、同一メーカーにおいて、該二種類の乳母車について研究開発されていることは周知であり(乙第2~第7号証)、両タイプとも同じ部材を共用している例(乙第2号証と乙第3号証の各図面を対比)もあることから、当業者が椅子・ベッド兼用型乳母車の技術を椅子専用型乳母車に適用することは容易である。

4  取消事由4について

引用例発明の座部が正確に水平になるか否かは不明であるが、ベッドの状態なら当然に水平にせざるをえないし、水平状態になりうるものであり、かつ、そのようにすることは当業者にとって何ら困難なことではないから、審決の相違点ロについての判断に誤りはない。

引用例発明が、座り心地を良好に保つ範囲内で背もたれ部及び座部の傾斜角度を調節するものであるとしても、ベッドとして用いる場合に水平状態にまで後傾角度を傾けるようにすることは当業者が容易に想到できるところであって、乳幼児に最適な環境を与えうるようにすることは困難ではない。

5  取消事由5について

周知の寝かせた状態で座部が水平になる乳母車の座部構造を引用例発明の乳母車に適用すれば、座部の後傾角が約10°から水平状態にまでなりうるのであるから、当然乳幼児に対して従来から椅子専用型乳母車の座席構造と椅子・ベッド兼用型乳母車がそれぞれ有していたものと同じ環境を与えることができるものである。したがって、原告主張の本願発明の効果は、従来のものが奏する効果を単に寄せ集めたものにすぎない。

椅子状、ベッド状いずれの状態でも最適の環境を望むことは常に存在している事項であり(乙第8、第9号証)、乳母車であれば、さらにその必要性は増すのであるから、そのような課題のために、引用例発明の後傾角の調節可能な「座席の構造」に代えて、従来周知の「背もたれ部を立たせた状態からほぼ水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車」の構造を適用すれば、ベッドとして使用する場合、当然に座席の後傾角を水平状態にまで調節して使おうとするものであり、乳母車を椅子状にした場合及びベッド状にした場合のいずれにおいても、乳幼児に対して最適な環境を与えることができるという効果も当然に予測されるところである。

したがって、審決の本願発明による効果についての判断に誤りはない。

第5  証拠関係

証拠関係は記録中の証拠目録の記載を引用する。書証の成立についてはいずれも当事者間に争いがない。

第6  当裁判所の判断

1  取消事由1(引用例発明の誤認に基づく相違点イの誤認)について

本願発明の要旨が前示のとおりであり、本願発明と引用例発明とが、「乳母車の座席において、座部を支える部材のうち、座部の前方端側(原文の「端部」は、「端側」の趣旨と認める。)に位置する部分が固定高さ位置となるように乳母車本体に連結され」(審決書3頁18行~4頁1行)との構成を有している点で一致することは、当事者間に争いがない。

そして、引用例(甲第4号証)の「本考案は乳母車に関するものであるが、それは座席の角度(背凭れをも含む)調節が極めて簡単な操作で行ない得るようにしたもので、以下実施の一例を示す図について説明すると下記の如くである。」(同号証1欄25~29行)、「座席シート15及び背凭れシート26の角度を調節して座り心地を良好とする操作は、まず締付具21を緩めて昇降杆20の引き上げを計ると、まず伸縮杆13は軸14を支点として回動しながら該伸縮杆13の他端が上昇し、以つて座席シート15の角度が変る。又揺動杆17は軸を支点として回動しながら該揺動杆17の他端が上昇し、従つて同時に背凭れシート26の下縁も前方へ若干つき出し状に引き上げられて該背凭れシート26の変動も若干変る」(同3欄9~18行)、「更に昇降杆20を降下させても座席シート15及び背凭れシート26の角度も変える事が出来る」(同3欄21行~4欄1行)、「このように本考案によれば昇降杆の昇降のみで伸縮杆及び揺動杆の各他端が共に昇降して座席シート及び背凭れシートの角度調節が可となり、以つて座つた際の姿勢及び座り心地が自由自在に変える事が出来る。」(同4欄6行~10行)との記載及び図面にによれば、引用例発明の乳母車が、背もたれ部をほぼ水平に寝かせベッドの状態で使用することは予定されていない椅子型の乳母車であって、審決認定のとおり、「背もたれ部の傾斜角を若干調節可能な乳母車の座席」(審決書3頁4~5行)との構成を有することは、明らかである。

一方、本願発明が、「背もたれ部を立たせた状態からほぼ水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車の座席」に係る発明であることは、その要旨に示すとおりである。

そうとすると、審決が、本願発明と引用例発明の相違点イとして、「本願発明は、『背もたれ部を立たせた状態からほぼ水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車の座席』に係る発明であるのに対し、引用例に記載の発明は、従来普通の『背もたれ部の傾斜角を若干調節可能な乳母車の座席』に係るものである点」(審決書4頁8~13行)を挙げたことは正当であり、そこに原告主張の誤りはない。

原告は、引用例発明の認定において、椅子専用型であることを前提とする構成を摘示すべきであるというが、本願発明の構成と対比すべき引用例発明の認定として、審決の認定に欠けるところがあるとは認められず、したがってまた、その相違点イの認定も正当であることは、上記のとおりである。

取消事由1は理由がない。

2  取消事由2(引用例発明の誤認に基づく相違点ロの誤認)について

引用例発明が「「座部(座席シート15・・・)を支える部材(伸縮杆13、筒状部16)のうち、座部の前方端部に位置する部分(枢着軸14部分)が固定高さ位置となるように乳母車本体に連結され」(審決書3頁6~11行)との構成を有していることは、当事者間に争いはない。

そして、引用例(甲第4号証)の考案の詳細な説明中の実施例を説明した部分の「17は一端が後側脚杆5の下端部に軸で回動可能なるよう取着された揺動杆である。」(同号証2欄17~18行)、「連結具22は管軸23の先端に二又状の突片24を夫々対向二枚が一組となるよう連成したものを示し、且この連結具22は管軸23が揺動杆17の他端に管軸23が嵌着され、且一方突片24が伸縮杆13の他端に、他方突片24が昇降杆20の下端に夫々ピン25で枢着されたものを第2図で示した」(同2欄25~31行)、「座席シート15及び背凭れシート26の角度を調節して座り心地を良好とする操作は、まず締付具21を緩めて昇降杆20の引き上げを計ると、まず伸縮杆13は軸14を支点として回動しながら該伸縮杆13の他端が上昇し、以つて座席シート15の角度が変る。」(同3欄9~14行)、「更に昇降杆20を降下させても座席シート15及び背凭れシート26の角度も変える事が出来る。」(同3欄21行~4欄1行)、「このように本考案によれば昇降杆の昇降のみで伸縮杆及び揺動杆の各他端が共に昇降して座席シート及び背凭れシートの角度調節が可となり、以つて座つた際の姿勢及び座り心地が自由自在に変える事ができる。」(同4欄6~10行)との記載と図面第1~第3図によれば、引用例発明は、座席シート及び背もたれシートの角度を調節することにより座った際の姿勢及び座り心地を自由自在に変えることを目的として、昇降杆20を昇降させることによる伸縮杆13の伸縮と、管軸23の先端に二又状の突片24をそれぞれ対向二枚が一組となるよう連成した連結具22の昇降・揺動運動とから、座部の角度を変化できるようにしていることが認められる。

そして、同第1図には、座席シート15が緩やかな角度で背もたれシート26側に後傾していることが示されており、上記のような状態から、昇降杆20を引き上げると、伸縮杆13は軸14を支点として回動しながら該伸縮杆13の他端が上昇し、座席シート15の傾斜を水平に近づかせ、反対に、昇降杆20を引き下げると、伸縮杆13の他端が下降して座席シート15が背もたれシート26側にさらに後傾することができるように調節できると認められる。

ところで、椅子型乳母車において、座席シートが後方側が高く前方側が低いように傾斜しているとすると、座席シートに座った乳幼児が座席シートから滑り落ちる危険が生じることは自明であるから、座席シートはほぼ水平といえる状態まで調節できれば十分であり、後傾させる場合も極端に深くする必要はなく、ある程度の傾斜角の範囲で調節できれば十分であり、引用例の第1図には、後傾角が約10°前後のものが図示されていると認められる。

これによれば、引用例には、審決認定のとおり、「座部の後傾角を約10°からほぼ水平状態にまで調節し得る」(審決書3頁11~12行)点が記載されていると認められる。

原告は、乳幼児の座る状態からみて、座部の後傾角をほぼ水平状態にすることは考えられないと主張するが、座席シートの材質(例えば可撓性か否か)、座席シートに座る乳幼児の状態(年齢、身体の大きさ等)により、どの角度が最適かは異なるものであって、水平状態とすることが乳母車の機能に反するものとは認められず、現に実公昭51-45812号公報(乙第1号証)には、椅子型の乳母車において、座席シートをほぼ水平にした例が図示されているのであって、これらの事実からすれば、原告の上記主張は失当というほかはない。

上記事実によれば、審決の引用例発明の認定、本願発明と引用例発明との一致点及び相違点ロの認定に誤りはない。

取消事由2は理由がない。

3  取消事由3(相違点イについての判断の誤り)について

「背もたれ部を立たせた状態から水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車(寝かせた状態で座部は水平となるもの)」が本願出願前周知であることは、当事者間に争いはない。

本願発明の要旨において、「背もたれ部を立たせた状態から水平に寝かせた状態までリクライニング調節」するための構成について特に限定はなく、この点は、周知の「背もたれ部を立たせた状態から水平に寝かせた状態までリクライニング調節」する技術の適用を前提としていることは、本願明細書の〔従来の技術〕を説明した部分の「乳母車の座席様式の1つとして、背もたれ部の傾斜角を調節可能にしたリクライニング構造のものが広く知られている。この種の乳母車では、背もたれ部を起こして椅子の状態で使用する場合と、背もたれ部を倒してベッドの状態で使用する場合とに使い分けられるものがある。」(甲第2号証明細書2頁4~9行)との記載から明らかである。

したがって、引用例発明における「背もたれ部の傾斜角を若干調節可能な乳母車の座席」を周知の「背もたれ部を立たせた状態から水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車の座席」に変えるについて、背もたれ部及び座部の傾斜角度が連動して調節される構成、昇降杆の上方部が側杆に連結されている構成等を、背もたれ部を水平に寝かせた状態まで倒すことができるような構成にする程度のことは、当業者であれば容易に考えることと認められる。

原告は、引用例発明の乳母車は、あくまで座り心地を良好に保つ範囲内で背もたれ部及び座部の傾斜角度を調節するものであって、椅子・ベッド兼用型乳母車のベッド状での使用に対して最適な環境を与えるという発想は出てこないから、ベッドの状態での使用を意図する椅子・ベッド兼用型乳母車の座席に適用することに関して合理的な動機付けがないと主張する。

しかしながら、前示のとおり、従来から背もたれ部の傾斜角を調節可能にしたリクライニング構造の乳母車において、背もたれ部を起こして椅子の状態で使用する場合と背もたれ部を倒してベッドの状態で使用する場合とに使い分けられるものがあったのであり、また、椅子専用型乳母車と椅子・ベッド兼用型乳母車とは、いずれも乳母車であって、使用する乳幼児に最適な環境を与えるという目的に変わりはないと認められ、これらの事実によれば、使用の状態が異なっているからといって、椅子・ベッド兼用型乳母車の技術と椅子専用型乳母車の技術とを相互に転用することが格別困難であることは認められず、本件全証拠によっても、原告の主張を根拠づける資料を見出すことはできない。

審決の相違点イについての判断に誤りはなく、取消事由3は理由がない。

4  取消事由4(相違点ロについての判断の誤り)について

乳母車の背もたれ部を倒して座部とを併せてベッドとして使用する場合、座部は水平にならなければならないことは当業者にとって自明であり、前記2に判示したとおり、引用例発明においても、座部は機能的にはほぼ水平状態に調節可能であるから、これに代えて、前示周知の「水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車(寝かせた状態で座部は水平となるもの)」の技術を適用し、「座部の後傾角を水平状態にまで」調節し得る構成とすることは当業者にとって容易であると認められる。

したがって、審決の相違点ロについての判断に誤りはなく、取消事由4は理由がない。

5  取消事由5(作用効果についての判断の誤り)について

本願発明は、本願明細書に記載されているように、「背もたれ部を立たせた状態からほぼ水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車において、その座部の後傾角を約10°から水平状態にまで調節可能に構成したので、乳母車を椅子状にした場合およびベッド状にした場合のいずれの場合においても、乳幼児に対して最適な環境を与えることができる。」(甲第2号証明細書14頁4~7行、同第3号証補正の内容(4))との効果を奏するものと認められ、原告は、これを格別の効果と主張する。

しかし、このような効果は、引用例発明と周知の椅子・ベッド兼用型乳母車との組合わせが奏する効果から予測できる範囲を越えるものではないことは明らかであり、審決の「本願発明による効果も、引用例および周知のものがもつ効果以上のものではない。」(審決書5頁18~19行)との判断に誤りはない。

原告は、本願出願時である昭和59年8月頃までの乳母車業界の開発の力点は乳母車を操作する側にとって便利で使いやすいものにすることであり、本願出願時、椅子・ベッド兼用型乳母車では座部が固定されているため、乳幼児に対して最適な環境を与えることができないという欠点は当業者によって認識されていなかったと主張するが、乳母車をこれに乗る乳幼児にとって快適なものとすることは、乳母車の構成を考えるうえで当然の課題であると認められ、本件全証拠によっても、上記原告の主張を認めるに足りる資料はない。

取消事由5は理由がない。

6  以上のとおり、原告の取消事由の主張はいずれも理由がなく、審決の認定判断は正当であって、その他審決に取り消すべき瑕疵はない。

よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 芝田俊文 裁判官押切瞳は転補のため、署名捺印することができない。 裁判長裁判官 牧野利秋)

平成5年審判第14015号

審決

大阪市中央区島之内1丁目13番13号

請求人 アップリカ葛西 株式会社

大阪府大阪市北区南森町2丁目1番29号 住友銀行南森町ビル 深見特許事務所

代理人弁理士 深見久郎

大阪府大阪市北区南森町2丁目1番29号 住友銀行南森町ビル 深見特許事務所

代理人弁理士 森田俊雄

大阪府大阪市北区南森町2丁目1番29号 住友銀行南森町ビル 深見特許事務所

代理人弁理士 小柴雅昭

平成2年 特許願 第282449号「乳母車の座席」拒絶査定に対する審判事件(平成3年8月8日出願公開、特開平3-182870)について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

理由

1.出願の経緯・発明の要旨

本願は、特願昭59-164560号(昭和59年8月6日出願)の分割出願として平成2年10月19日に出願されたものであって、その発明の要旨は、平成5年3月19日付けで補正された明細書及び図面の記載からみて、その特許請求の範囲に記載されたつぎのとおりのものと認める。

「背もたれ部を立たせた状態からほぼ水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車の座席において、

座部を支える部材のうち、座部の前方端部に位置する部分または座部の後方端側に位置する部分のいずれか一方が固定高さ位置となるように乳母車本体に連結され、その他方が、座部の後傾角を約10°から水平状態にまで調節し得るように、上下移動可能に乳母車本体に連結されていることを特徴とする、乳母車の座席。」

2.引用例の要旨

これに対して、原査定の拒絶理由となった実公昭51-45810号公報(以下、引用例という。)には、次のごとき発明が記載されている。

「背もたれ部の傾斜角を若干調節可能な乳母車の座席において、

座部(座席シート15、以下、括弧内は引用例に記載されたものの対応する部材名または符号を記す。)を支える部材(伸縮杆13、筒状部16)のうち、座部の前方端部に位置する部分(枢着軸14部分)が固定高さ位置となるように乳母車本体に連結され、その他方が、座部の後傾角を約10°からほぼ水平状態にまで調節し得るように、上下移動可能に乳母車本体に連結されていることを特徴とする、乳母車の座席。」

3.対比

そこで、本願発明と引用例に記載された発明とを対比すると、両者は次の構成で一致する。

「乳母車の座席において、

座部を支える部材のうち、座部の前方端部に位置する部分が固定高さ位置となるように乳母車本体に連結され、その他方が、座部の後傾角を約10°から水平に近い状態にまで調節し得るように、上下移動可能に乳母車本体に連結されていることを特徴とする、乳母車の座席。」

そして、両者は次のイおよびロの点で相違する。

相違点イ;

本願発明は、「背もたれ部を立たせた状態からほぼ水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車の座席」に係る発明であるのに対し、引用例に記載の発明は、従来普通の「背もたれ部の傾斜角を若干調節可能な乳母車の座席」に係るものである点。

相違点ロ;

本願発明では、座部の後傾角を約10°から「水平状態にまで」調節し得るものであるのに対し、引用例に記載のものでは、「ほぼ水平状態まで」調節可能である点。

4.当審の判断

つづいて、上記相違点について検討する。

相違点イについて;

従来より、「背もたれ部を立たせた状態から水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車(寝かせた状態で座部は水平となるもの)」は周知(例えば、特開昭58-26672号公報、実開昭57-88662号公報等参照)であって、引用例に記載の「座席の構造」を、上記周知の乳母車の座席に適用することは、当業者に格別困難なことではない。

相違点ロについて;

上記の相違点イにおいて判断したごとく、引用例に記載の「座席の構造」を従来周知の「水平に寝かせた状態までリクライニング調節可能な乳母車(寝かせた状態で座部は水平となるもの)」に適用すれば、当然に座席の後傾角が水平状態となり得ることは自明であり、この点にも格別の発明は見当たらない。

そして、本願発明による効果も、引用例および周知のものがもつ効果以上のものではない。

5.むすび

したがって、本願発明は、引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。

よって結論のとおり審決する。

平成6年1月27日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

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